代表メッセージ

MESSAGE

求めるものは 「高級」ではなく「本物」

Mikio Yamakawa山川 幹夫 株式会社山川設計 代表取締役 一級建築士

代表 山川の想い

私の生家は店舗併用住宅でした。母が駄菓子屋を切り盛りしていたのです。父は、別の場所で鉄工所を経営していました。 木造建築で、土間や縁側、納屋があったことを覚えています。茶の間の四畳半に、炬燵とテレビと茶箪笥を据えて、一家団欒はそこで過ごしていました。 口さがない人からボロ家と言われ、恥ずかしい思いをしたこともあります。しかしその家は、1964年の新潟地震にもビクともせず、その後増改築を繰り返して、今では兄一家が暮らしています。 周りの町並みは、時代と共に移り変わっていきました。古い家が建て替えで壊されるとき、そこに住んでいた人たちはみんな悲しそうな表情をしている。そういう記憶があります。 当時は言葉にできませんでしたが、今では当時の気持ちを表現できます。柱の傷ひとつにも家族の思い出が刻まれているのだから、むやみに、安易に壊してはいけない。新しくて立派な家もいいけれど、伝統のある古い家を大切にするというスピリットも大切にすべきだ、と。 住宅にとっての豊かさは、耐震性や快適性、機能性だけではありません。高い、安いといった二元論でもない。基準となるのは、どれだけ心が豊かになるのか――。 理屈ではなく、感情なのです。 いくら建物が堅牢で長持ちしても、住まう人の想いが伝えられ、受け継がれて、続いていかなければ意味がない。たとえ離れて暮らしていても、ここが自分の育った家だ、と他人に誇ることができる。私がつくる家は、そんな家であってほしい。 家はかたちだけです。ただ、そこに住まう人が思いを込められるような、その人の生まれ、育ち、人生を想像できるような家をかたちにしたい、そう考えています。

創業に至るまで

山川設計は、御徒町の雑居ビルで、家内を含めて4人のスタッフでスタートしました。時は1989年、ちょうど平成元年です。 建築工学科を卒業後、主にオフィスビルを手掛ける中規模ゼネコン、商業施設の設計や店舗内装を手掛ける総合ディスプレイ会社を経ての起業です。 手前味噌ですが、ゼネコンにいたときも、総合ディスプレイ会社にいたときも、私は人の三倍は仕事をしていたという自負があります。ありがたいことに、山川に仕事を任せたいと言ってくださるお客様も多かった。その頃の経験は、今でも私の財産です。 例えばポルシェのショールームを手掛けたときは、メインターゲットとなるごく一部のこだわりを持つ富裕層の美学や人生観に訴求し、それを消費行動に変えるための戦略を、デザインを通じて学ばせていただきました。 ただ、会社に所属していると、施主と会社の利益を天秤に掛けなければなりません。私は、施主サイドに立って良いデザインを提供できる設計者になりたかった。施主サイドから正しく評価され、自分が施主のためにやっているという実感が欲しかった。 そのためには、独立が最良の道でした。

創業から現在までの道のり

最初から住宅設計に特化しようと思っていたわけではありません。創業から9年ほどは、店舗設計、マンション設計が主でした。 当初は、毎日飛び込み営業に回って、設計コンペに参加させてもらえるよう依頼していました。独立して必死でしたから、連日会社に泊まり込み、ソファに寝て図面を引く。三日三晩徹夜して、そのまま図面を持って納品に出掛けることもあった。まさしく命懸けでした。 そうしてがむしゃらに仕事をしていくうちに徐々に業界に名前が知れ、スタッフも10人を超えるようになりました。ただ、気品に満ちたおしゃれな住宅がつくりたい、という希望は常に持っていました。 当時から、著名建築家が個人住宅を手掛ける、というケースはありました。しかしそれは、”建築家先生”の作品としての住宅でした。施主と言えども、注文をつけることができなかった。まさに主客転倒です。 自分たちがつくりたい家の話をしっかり聞いてくれ、「こんなプランはどうですか」と提案してくれる。私はそういう建築家になろうと思いました。 とはいえ、「個人の設計事務所が住宅をやるというのは、食えなくなるに等しい」というのは、当時の業界の常識でした。 そこで、半数以上のスタッフに他事務所へ移籍してもらい、創業時のように数人で再スタートを切ることにしたのです。「建築家住宅」というスローガンを打ち出し、ハウスメーカーと同じ予算で、より個性的で住みやすい、オーダーメイドの家づくりをブランド化しました。

山川設計の家づくり

創業以来、知恵を絞って他社との差別化を図ってきました。 象徴的なのは、独自のコストモデルを確立しているという点です。 見積もりは施工店が行う、という業界の慣例があります。しかし、ある施主の家づくりを担当する中で、そうした先入観を打ち壊すことができました。その施主は優秀な大手商社マンで経理の専門家だったのですが、無理難題を前提に2500万円の建築予算でRC住宅をつくりたい、というのです。 施主と何度も打ち合わせを繰り返し、私は施工店に見積書を提出しました。一目見て「この額では不可能です」と言い放つ営業担当を粘り強く説得し、そこの社長さんに何とか請け負ってもらうことができました。後日、その営業担当は、「表だけ見ると絶対にできない金額だったのに、一項目ずつ確認してみると無理のない、むしろ適正な単価設定になっている」と話してくれました。 無理難題をクリアするために、私と施主が盛り込んだ数々の工夫が奏功したわけです。 かくして、通常では5000万円以上は掛かるであろうRC住宅を、トータル3000万円でつくることができました。施主と私と施工店とが、三位一体となって建物を完成させたのです。 この時私が学んだのは、コスト削減のための技術論ではなく、根本的な発想の転換でした。 端的に言えば、100万円のものを10万円で買うことはできないけれども、10万円で100万円の価値があるものをつくることができる、ということです。

最後に

お客様が注文のハードルを高くすればするほど、こちらもそれを超えようと頑張る。そういう活発なやり取り、切磋琢磨がおもしろい。そこにやりがいを感じる。お金がないからできない、ではなくて、お金がないのならないなりに工夫してつくる。 施主と共に考え、施主と共に難題を乗り越え、解決していく。予算的、技術的なことばかりでなく、思いをつないだ家づくりを一緒に行っていきたいと考えています。 打ち合わせでは、その場でサラサラ図面を書いたり、模型をカットしながら話をしたり、ざっくばらんに色々な意見が出せる用意を整えています。 ぜひ、あなたの夢を聞かせてください。

Mikio Yamakawa山川 幹夫 株式会社山川設計 代表取締役 一級建築士

代表略歴

1956年
新潟県生まれ。
1979年
日本大学生産工学部建築工学科卒業後、建設会社設計部、 建築設計事務所において 住宅・商業施設の設計活動に従事。
1989年
山川設計、設立。
2018年
29期目を迎える。

著書